~廃村予定の村へ奥飛騨の旅~“日和田郷・阿多野郷・あゝ野麦峠“(岐阜・長野)

429  奥飛騨の旅

県=岐阜・長野

同行者=従弟

訪問日:2006年11月4日~6日


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 長閑な山村を廃村になる前に訪ねた“ 日和田郷阿多野郷・あゝ野麦峠

 日和田郷

岐阜県大野郡高根村は昔で言うところの国境くにさかいの村である。乗鞍岳と御嶽山を結ぶ稜線の東側は長野県である。乗鞍山麓と御嶽山の裾野を仰ぐ、その美しさは心が和む。

日和田の原家は、かつて飛騨一番のお大尽だいじんといわれた。数百から多い時には数千頭の馬を持ち、木曽福島の馬市に出荷していた。邸宅は今も残るが荒廃した邸内には、数十人を泊めた大広間、透かし彫りの欄間や豪華な天上が昔の名残を留めているらしいが、残念ながら立入禁止だった。

日和田の原家
日和田の原家

原家の向かい側の山道を登り詰めると日和田峠。ここから御嶽山は美しい裾野を引いて、《日和田富士》と呼ばれ、この辺りが日和田開墾地である。

標高1300m、県下一高所の水田も見られた

日和田郷
日和田郷
夏訪れた時
夏訪れた時

 阿多野郷

かつては野麦峠を境に飛騨側を木曾街道、信州側を野麦街道といった。街道と言う呼び名が最も似つかわしかった時代・・高山の街を午前三時半に出立しゅたつすると、製糸工女の足では寺附か中之宿で日が暮れた。

其処から野麦までが山中さんちゅうのあくる日の行程である。道は村役場の上の上ヶ洞で二手に分かれていた。山伝いにビックリ峠を越して野麦に出るのが本道で、もうひとつ益田川とダナ川との合流点から真北に見える村落、或いは山伝いの寺坂峠から真南に眺めらおるす小さな集落が阿多野郷である。

阿多野郷から乗鞍岳
阿多野郷から乗鞍岳

下から見上げる集落の上には、両翼を凛と張った乗鞍岳が覆いかぶさっていて、その息をのむばかりの風景は素朴であって哀愁に満ちた正に桃源郷である。

阿多野郷から乗鞍岳
阿多野郷から乗鞍岳
飛騨ブリ街道~御嶽を望む
飛騨ブリ街道~御嶽を望む

 

 

430 あゝ野麦峠

峠を登り詰めると、一面の笹原を鳴らして荒れ狂う烈風が飛騨側から信州側へ吹き抜けていた。明治から昭和の初期に掛けて、この峠を往来した夥しい飛騨の製糸工女の苦労を、偲ぶ記念碑だという。

野麦峠
野麦峠

野麦峠~乗鞍岳
野麦峠~乗鞍岳

野麦集落の石置き屋根の家
野麦集落の石置き屋根の家

 

記念碑には新垣秀雄氏の筆で「あゝ野麦峠」と刻まれていた。峠を登り切るとシラビソ林の中に、吉城郡河合村の正井辰次郎が建立した、小さな木標があり、それには次の様に書かれていた。「明治四十二年十一月二十日に私の妹、「みね」二十二歳が信州諏訪の製糸工場にて病気になり、郷里の飛騨に帰る途中にて野麦峠にようやく辿り着いて、『あゝ飛騨が見える』と言ったが、そのままこの地で息を引きとりました。正次郎さんの背中で亡くなったのである。この精神を何時までも引き継ぎ語り通していかなければならない。
数々の石碑類
数々の石碑類

数々の石碑類2
数々の石碑類2
三角点
三角点
従弟とお助け茶屋にて
従弟とお助け茶屋にて
イトトンボ
イトトンボ

野麦集落の石置き屋根の家3
野麦集落の石置き屋根の家2

 


Tamo24

★管理人から令和のこそこそ噂話★
1月30日「3分間電話の日」です!
1970(昭和45)年のこの日、公衆電話からの市内通話の料金が3分で10円になった。
それまでは1通話10円で、時間は無制限だった。
~今日は何の日 毎日が記念日より引用~
最近ではプライベートだとほとんど電話しなくなりましたが、仕事では毎日かなりの量話しています。
笑顔ではなく、笑声に気を使っているので、Kanapiには「詐欺だねって」言われています。営業声には自信を持っていいかな?よい週末をお過ごしください♪

 

 

 

 
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