更新日:令和4年1月30日|参考タイム1時間半くらい|体力★★☆☆☆・展望★★★☆☆・静けさ★★★★☆・技術★★☆☆☆・危険度★★☆☆☆・初心者向け|標高239mの金山山頂の実城(みじょう)を中心に、戦国時代の山城です。石垣や石敷きが多用されているのが特徴的な山旅です。
◆都道府県:群馬県(太田)
◆登山日:2002年12月13日
◆同行者:Omitsuさん単独
木暮理太郎の生地を訪ね、ついでに一山登ろうと金山を訪ねることにした。
走る道は冬枯れで余り色彩のない無表情であるが、
50号から122号線に入ると道すがら常緑高木の森が目に飛び込んできた。
地図を見ると金山城の遺構だった。金山ドライブウェイを登って行くと展望台に着いた。
ここにバイクを止め、関東平野のほぼ中心の展望台から関東一円を見渡すことが出来た。
足早になだらかな幅の広い道を進むと、美しい赤松の疎林に覆われた
新田義貞を祀った新田神社があり、その先に岩がゴツゴツ露出した岩峰に山頂があった。
山頂からは、先程まで幾らかの冬のちぎれ雲もすっかり消え、
夕闇迫る空には一片の雲もない。
三角点にタッチして、赤城、筑波、日光、足尾山塊・上信越、
西上州そして秩父の山並みが漆黒のシルエットがくっきりと浮かび上がっていた。
下山後、一路R122号をひた走り家路についた。
木暮理太郎翁 生誕記念碑を訪ねる
木暮翁の生地に地元の強戸山岳会のメンバーが中心になって建設した記念碑は金山からほど近い。
金山幼稚園の角を左折して蛇川沿いの田園地帯を進んで行くと、右側にでんと大きな岩塊が目にとまった。
秩父古生層の県内で産出された重量8トンの三波石で造られた巨岩の表に、
日本山岳会第十三代会長の西堀栄三郎の書で
「山登りは先人の肩にのって先へ進むものだ・・木暮理太郎誕生の地」と、
また裏には「秩父奥山」の一節「東上州から見た冬の秩父連山・・」と刻み込んだ黒御影石がはめ込まれていた。
木暮理太郎は田部重治と共に日本の近代登山の聡明期を築いた。
日本アルプスだけでなく、奥秩父の魅力を世に広めた。
木暮理太郎著・「山の憶ひ出」「東京から見える山」「秩父の奥山」「山と村」「木曽駒と甲斐駒」など多数。
参考までに山梨の金山{瑞牆山・金峰山などの奥秩父の山々の登山口}にある木暮理太郎のレリーフを添付する。
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★管理人から令和のこそこそ噂話★
1月30日は「 3分間電話の日」です。
1970(昭和45)年のこの日、
公衆電話からの市内通話の料金が3分で10円になった。
それまでは1通話10円で、時間は無制限だった。
~今日は何の日から引用~
今日は娘に登山ブログの目次を作ってもらいました。
固定ページの三本線をクリックしてもらうと、
目次のページがあります。
誤って2回掲載している山もありますが・・・
掲載済みはリンクで飛べるようになっておりますので、
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