更新日:令和4年6月4日|山頂まで2時間半くらい|体力★★★☆☆・展望★★★☆☆・静けさ★★★★☆・技術★★★☆☆・危険度★★☆☆☆・初心者向け|西暦2000年の山で日本3大崩れでも有名で山崩れの末端まで見ることが出来た山旅です。ミヤマカラマツやヒヨドリバナにも出会える山行となっております。
行田山{ギョウダヤマ}(2000m)
山伏{ヤンブシ}(2014m)
◆都道府県:静岡県・山梨県「西暦高度の山」
◆登山日:2000年7月16日
◆同行者:石井さん・武内さん・山本さん
日本山名総覧の著者である武内正さんに誘われて、
西暦高度8で2000mの全国で只一つの行田山へ、
石井さん・山本さんと昨日の笹子雁ヶ腹摺山に引き続き、
2000mという切の良い標高を持った山に向かった。
発見者の武内さんから、行田山の発見についていきさつを聞きながら車中の人。
「山梨県早川町と静岡市境に位置する安倍山系にある山で、
山梨側では行田山と呼び、静岡側では大谷嶺と呼ぶという。
山名総覧を出版した当時は未だ大谷嶺だったが、
武内さんが早川町長辻一幸さん宛に2000年の山が有ると手紙を出したら、
早川町では早々に腰を上げ、この山を西暦2000年の山として売り出す事にして、
林道や登山道の整備に着手した、また埼玉県行田市と行田に因んで姉妹都市になり、
お互いに行き来して親交を深めている」との事。
早朝に早川町に入り、雨畑川に沿って井川雨畑林道を走り、
途中の硯工房を遣り過ごし、砂利道だがよく整備されたヘアーピンカーブをくねくねと登って行くと、
真新しい行田山登山案内図が建っている登山口に着いた。
案内板に依ると『この登山道は二十一世紀幕開け記念として、
早川町が行田山2000mへのルートとして開設しました。
登山口より山頂まで約3km、標高差400m、2時間ほどで登れます』と記してあった。
広い駐車場で晴天の背後に聳える南アルプスの秘峰といわれる笊ヶ岳を背景にカメラに収まり、
ここから新しく整備された登山道をジグザグに登って行く。
高度を稼いで振り向けば青笹山の稜線上に上河内岳と聖岳が顔を覗かせていた。
小休止の後、武内さんが名付けた富士見坂を登り切り、
緩やかな尾根を進むと行田山の標柱が目に飛び込んできた。
ここはピークとは言えず、小広い笹に覆われた休み処という感じの広場だった。
ここは八紘嶺と山伏への稜線上で、
静岡県側が建てた「大谷嶺」と早川町が建てた「行田山」の標柱がそれぞれ建っていた。
また新世紀記念碑の台座には地元の子供たちが
「世界平和・有名アイドル・パン屋・看護婦・兄弟仲良く・100歳まで生きる」等の
夢と希望が描かれた小石がはめ込んであった。
山頂には西上州の御堂山でご同行した碓氷ハイキングクラブの一行がいて、
私達が登って来たのに驚いていた。これは武内さんが仕掛けた山行日程だった。
南アルプスの山々を眺めながら大休止の後、隣に見え隠れしている
山伏へと痩せ尾根を下って行って振り返れば、
大谷崩の大きなガレ場の庇の上に今にも崩れ落ちそうな行田山があった。
大谷崩から吹き上げる涼風が心地よく新窪乗越に着く。
今日始めて足元に咲くミヤマカラマツやヒヨドリバナに出合えて嬉しい。
ここから山伏へと登り返しで、暫く陽を遮ってくれる樹林の中を進み、
稜線に出て大平沢の頭を越え、やがて気分の良い笹原に達し、
平坦な広大な笹原を進むと山頂標柱が建つ山伏に着いた。
広い笹原の山頂には二等三角点の他に山名標柱がやたらと有った。
広い山頂から、日本三大崩れ(富山県常願寺川の鳶山(とびやま)
そして長野県小谷の稗田(ひえだ)山)の一つと言われる大谷崩れの全貌を見る。
三大崩れのだけの規模である。
眺望も素晴らしく、大きな山体の青笹山を前衛に南アルプスの赤石岳や荒川三山の雄姿が望め大展望を満喫できた。
大休止の後に下山に掛かったが、半時もせずに井川雨畑林道に降り立ち、
先の大笹峠に辻町長さんの計らいで、ジープが待機していてくれて、
朝方に素通りした雨畑の硯工房まで送って戴いた。
先着の碓氷ハイキングの皆さんと町営のヴィラ雨畑で打ち上げをして帰途についた。
新世紀の幕開け年に登頂できてこの上ない喜びである。
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