更新日:令和3年4月24日|山梨県・金ヶ岳山麓の兎藪{うさぎやぶ}(1449m)、机{つくえ}(1249m)に2005年5月にロッジ山旅の長沢さん、山友の斉藤さんと登った山行です。心に残る山椒摘みの旅になっております。
■ 兎藪 、机■
◆県=山梨(金ヶ岳山麓)
◆登山日:2005年5月16日
斐大泉でロッジ山旅を経営する長沢さんから、
『山椒の新芽が出そろった頃なので、山椒摘みに出掛けませんか?』とお誘いを受けた。
以前、金ヶ岳に登った折りに兎藪を通過したことを思い出し、
その際に同行した山友の斉藤さんもお誘いした。
ロッジ山旅の車で、長沢家と愛犬「クリオ」、計5人・1匹で出発する。
麓の根古屋神社から江草集落を過ぎ、城山の南を巻く狭い道を進んでいく。
台地状の開けた、カヤトの原の一角にある送電鉄塔の下の空き地に車を止めた。
この山域は特に好む処で、何回訪れても良いものだ。
今回で3回目だが、勝手知った真南に葦が生い茂る藪を抜け、
今は殆ど使われてない荒れた山道に出る。
辺りでは、ウグイスが頻りに囀り、
新緑が太陽の光を通して眩しい山裾を登って行く。
道すがら落葉樹の幼木が、訪れる毎に大きく育っているのに安堵する。
木陰の斜面には、エイザンスミレやスミレサイシン、
そして、ヤマタツナミソウが所々に咲き、
緑の香水とマッチして気持よく軽やかに登って行く。
先方の斜面に切り開かれた急登を登り切ると、
地元では机と呼んでいる台地に上がる。
南面が開けたスギの植林の頭の先には、
田畑が開け、韮崎の街が春霞の中に薄らと望める。
南アルプスは梅雨前線に阻まれて、雲の中にお隠れしていた。
素晴らしい展望台であるが、あと4~5年もすれば、
植林されたスギが成長して、鬱蒼とした森に成り、残念だが展望も利かなくなるだろう。
広い左斜面は緩やかな灌木帯で山椒の木が主体である。
これ程に沢山の山椒の木が、程良い間隔で群落をつくっているのを見た事がない。
山椒好きの人間にとっては、この上ない山域だ。
赤松や落葉松の大木が所々に立ち、秋にキノコ採りに訪れるのも楽しみだ。
休む間もなく、各々が籠やポリ袋を取り出す。
鋭い刺に注意しながら、山椒の新芽を摘みだす。
風に乗って、山椒の新鮮な香りが漂い、生き返ったようだ。
私は余り移動せずに、1本の木の新芽だけを丸刈りしていた。
すると、長沢さんから『それでは量が採れない。』と言われたが、
「葉脚は煮ても、堅く食べる時に口の中に残るので葉だけを採っている。」と返答したら、
『誰彼が採ったと関係なく、収穫した全量を新鮮な内に大鍋で一旦茹で。』とのこと。
それからは、三葉ほど纏めて移動しながら籠一杯に採った。
一旦休憩をして、長沢さんの奥様と娘さんを残して、兎藪に向った。
南北を低い尾根に挟まれた、ごく浅く広い沢筋の踏み跡を辿っていく。
沢筋といっても、水が流れているわけでなく、
猪のヌタ場に多少の水があった程度の湿り気で歩行には問題ない。
長沢さんの先導で、南の急傾斜の尾根に取付く。
大木の赤松の真下の藪でない木陰を選んで、
喘ぎながら進み、僅かな藪漕ぎで尾根に上がる。
更に道なき道を急登すると、北側に派生する支尾根と合流した。
ここから、明るい気持ちの良い新緑の雑木林を進むと、左右に流れる踏み跡がある。
直登すると、小広い頂きの木の枝に『兎藪』と手書きされた、
山頂標示と三角点標石があった。
眺望は無いが、緑に包まれた静かな山頂で、
素晴らしい山旅を味わう事が出来た。
下山は、北側の尾根を足取りも軽く、
長沢さんの奥様と娘さんと合流し、ロッジ山旅に戻った。
早速、大鍋で2回に分けて茹で、心に残る山椒の新芽摘みの山旅を終えた。
帰宅後、砂糖・みりん・醤油で煮込んで、完成した!
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*編集者からのひとこと*
4月24日は「植物学の日」です。
文久2(1862)年旧暦4月24日、植物分類学者の牧野富太郎が高知県佐川町の豪商の家に生まれた。
94歳でこの世を去るまでの生涯を植物研究に費やして、新種・変種約2500種を発見・命名し、「植物学の父」と呼ばれた。
~今日は何の日から引用~
山椒はお好きですか?麻婆豆腐とかにも入っていますが、私は唐辛子とかの辛味より苦手かもしれないです。匂いも独特ですが、歳を重ねればいつか好きになるのでしょうか…祖父は大好きで、自宅の庭にも山椒を植えて、収穫しては煮て食べています。