更新日:令和4年3月21日|2時間半位|体力★★★☆☆・展望★☆☆☆☆・静けさ★★★★☆・技術★★☆☆☆・危険度★★☆☆☆・初心者~中級者向け|奥美濃にそびえる最高峰で残雪が残る中、コンロンソウなど沢山の高山植物を愉しめる山旅となっております。
◆都道府県:岐阜県・福井県(奥美濃)
◆登山日:2003年5月12日
◆同行者:石井さん、奥村さん、水口さん、徳本さんご夫妻
向日市の徳本ご夫妻の企画で、この奥美濃という深い山域に初めて足を踏み入れることが出来る。
この山地は、加賀、越前、美濃、近江の国境をなし、
その中心部にそびえる最高峰の能郷白山にご案内頂いた。
米原駅で8ヶ月振りに何時ものメンバーと再会する。
当初は根尾谷から能郷谷を突き上げる計画だったが、根尾谷で山が抜けて、
(この地方では山崩れを抜けるという)通行止めなので能郷谷コースを諦めて、
福井県敦賀から大野市へと迂回して、温見峠から登る事に変更する旨の案内があった。
大野市から百名山の荒島岳を仰ぎ見ながらR157号線に入り、伝説の姫の名を付けた麻那姫湖畔を走り、
煙る湖畔に一際金色に輝く麻那姫(干ばつから飢えを凌ぐため身を捧げた悲劇のヒロイン)の銅像と、
ウマノアシガタが咲き誇る園地に、「あすの月 雨占なはん ひなが嶽」芭蕉の句碑があった。
ひなが嶽と言えば日野山(越前富士)で、湖畔から直線距離で30kmもあり、
何故ここに有るのだろうと不思議に思った。
暫く進んで大野トンネル手前のキャンプ場に着いた。
早速テントを張り、暖を取る薪を集め宴の準備をした。
徳本さんが段ボールで簡易の枠を作り、桜の木片を焚いて、
それ程時間がかからずに本格派の美味しい鶏肉の燻製が出来上がったのには驚いた。
夕暮れから呑みはじめて、夜の更けるのも忘れ宴たけなわの頃に、先達の号令で明日に備えテントに潜った。
翌朝、温見峠の手前の路肩に駐車した。
能郷白山と対峙する越山(1129m)が間近にあり、
能郷白山も自然林に包まれた素晴らしい山容が望めワクワクする。
峠の登山口道標から尾根に取り付く。
真新しく刈り払われたクマ笹の急斜面を7人のメンバーは、一列になってゆっくり登って行く。
積もった落葉の中にコンロンソウが顔を出すが未だ蕾だった。
やがて思いもよらぬブナの大木が出現。
足元には濃いピンクのカタクリの花、そして目線上にはニオイコブシの白い花が咲いていた。
豪雪地帯で高度があるため花も遅いらしい。我々に一時の色彩を楽しませてくれる。
やがて倒木を跨ぎロープが張られた滑りやすい急登を越えて、肩の稜線あたりから残雪を踏むようになった。
谷間にはまだ豊富な残雪があり、谷から吹き上げる風が心地よく頬をなでる。
ガスが湧き出す砂利谷は一面の雪渓が長く伸び、
路傍の笹が刈払われた湿地にはザゼンソウがひっそりと赤黒い花を咲かせていた。
開けた一帯は背丈の低い灌木と笹で覆われている。
山頂付近には白山神社奥社が置かれ、いまなお信仰の息づきを感じさせる。
山頂から西側一帯の高山植物の群生は見もので、
ボタンネコノメソウ・ヤマエンゴサク・ミヤマカタバミ・サンカヨウ・キクザキイチゲ・エンレイソウ、
そして名も判らぬ淡いピンクの花が一輪咲いていた。
ミヤマカタバミ
奥社から五分ほどで一等三角点のある山頂に着く。
ここはだだっ広い笹原で良く刈り払われ整備されていた。
辺りを遮るものも無く、北西方向には加賀白山、大日岳、荒島岳などの名峰が望まれる筈だったが、
朝はすっかり明け放れていたのに、深い霧が湧き上がり展望は無かった。
今日は、のんびりと余裕を持って歩いて、自然の中に身を置いて心も癒していると、
下界での殺伐とした出来事もつかの間忘れさせてくれる。
参加した同人も霧の中で各々無口になり自然を充分に堪能しているようだった。
重い腰をあげ登ってきた道を下り掛かると、霧が晴れて越山や、
その奥の荒島岳や赤兎山が望むことが出来て更に感動し、
しかし加賀白山は筋状の雪渓のみが薄っすらと見えた程度だった。
振り返れば頂上も顔を出し、前衛の前山も別れを惜しんでいるようだ。
ブナ林を満喫しながら下り、枝越しに見え隠れする温見峠を見下すと、
我ながら良くこんな急坂を登って来たものだと感心した。
峠に出てから反対側を少し登ると地蔵堂があり、その先に峠路の旧道らしい寂れた山道があった。
下山後は一乗谷の復元された戦国時代の武将朝倉氏遺跡を訪ねて、
今夜の宿 美山温泉「みらくる亭」へ向かった。
ブログランキングに参加中!
あなたの投票お待ちしてます ♪