高校を卒業してすぐの18歳で社会人になった。
母親や兄弟たちのために必死で仕送りをしていたようだ。
父は大阪を皮切りに京都、東京、福岡、名古屋、仙台など四十数年間、
サラリーマンとして経理・営業畑で全国津々浦々渡り歩く、所謂転勤族だった。
まだ私が小学生のころ、まだ土曜日は半日学校があった。
父の会社は今では珍しくないが、外資系企業のため土日祝休みの週休2日で休みのため、
週末はよく家族旅行に連れて行ってくれた。
ただ、そのたびに何故か峠を越えるルートを好き好んでドライブし、
車に酔いやすい母と道中よくケンカをしていたのを鮮明に記憶している。
その頃の父はあまり登山には興味が持てなかったと言うが・・・
娘の私から見ると好きでなければあんな崖のような道をわざわざ通る必要があったのかと疑問に感じている。
父が振り返ると山登りは遠足で里山の山王山や十二天、高学年で上毛三山、
そして祖父の信仰登山に付き添って六回ほど木曾の御嶽山(3067m)に登ったのがきっかけだという。
そして、サラリーマン時代は社友と尾瀬ヶ原(沼)や会津駒ヶ岳に登った程度だったようだ。
そんな父が山登りを始めるきっかけとなったのは、定年まであと数年のころ、
私が元夫と浦和市(現:さいたま市)で寿司屋を開業したことであった。
そのキーマンは寿司屋の常連だった窪川獣医師との出会い、
福島の高柴山に「ヤマツツジ」を見に行こうと誘われて行ったのが最初だった。
その後、吾妻連峰や石裂山、十文字峠、西沢渓谷、御座山、丸亀の滝などに同行させて頂き、
自然の素晴らしさを再認識したと当時を振り返っている。
そして、同じく浦和(現:さいたま市)在住の山岳紀行作家である石井光造さんとの出会いにより、
より一層本格的に登山に入れ込むようになる。
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