17 燧岳(781m){ヒウチダケ}
18 折戸山(119m){オリトヤマ}
県=青森・下北半島 一等三角点 同行者=石井さん・田中さん
登山日:2002年5月13日
Outdoor Style サンデーマウンテン
下北半島の山旅も二日目になり、俗に言う鉞型の地形の恐山山地へ入る。大湊のフォルクローロホテルを起点に、レンタカーを利用しての半島一周へと発つ。先ず寒立馬で名高い尻屋崎へ向う。途中の原子力電源開発の恩恵を受けた、田舎に似合わない鉄筋コンクリートで欲しいが儘に造られた、丸や三角四角の箱物の東通村の役場に立ち寄り、何だ、これはと唖然とした。このような箱物を造らなくとも、税金や電力料金を引き下げよと言いたい。
気分を取り直し、珍しい狭木(稲を干す棚)が立ち並ぶ田園風景の中を進み、マイズルソウの群落に見とれながら左京沼を過ると、フェンスで囲まれた広大な防衛庁試験場の脇を通り抜け、やがて風力発電の風車が立ち並ぶ丘陵を越えると、太平洋側から津軽海峡側に出た。ゲートを過ぎて荒々しい未舗装の道を進み、尻屋崎灯台が目に入ると駐車場に至った。下北交通のバスが出発するところだったが、乗客が誰一人乗車して居ないのが、うら寂しかった。
津軽海峡越しには北海道の山々が薄っすらと望め、足元には緯度が高いため平地でもアズマギクが咲き誇っていた。
尻屋崎灯台と寒立馬を写真に収め、しばしの休憩の後、県道を進みR279号線に乗り、本州最北の駅が先月まで在った大畑駅跡(2002年4月廃線)に立ち寄って、ヒバの原生林のある薬研温泉へと向った。
薬研では香の良いヒバ材で造った枕を買い求めた。しばし初めて見るヒバの原生林に堪能して、木野部峠を越して燧岳へと向う。途中、硫黄の匂いに包まれた、井上靖の小説『海峡』最終章の舞台である、下風呂温泉街を先へと急ぐので素通りした。
易国間の風間浦村役場に立ち寄ると、平成14年3月作成の真新しい村管内図(五万分の一)を下さり、燧岳への道順を赤線で引いてくれた。登山口へのアプローチの林道が解り難いようで、小川目林道をナメコ園の道標に従って入るように教えてくれた。役場の横の舗装道路を易国間川に沿って走り、「ナメコ園小川目道7K」の道標から左に引廻沢へと入る。素晴らしいヒバ原生林の中の砂利道を進み、ナメコ園を過ぎ、特殊植物群落の(青森ヒバ・ブナ・ミネザクラ・カツラ」清々しい景観を、楽しみながら辿ると、ブナ林の中に登山口道標がある草地が終点だった。
本州最北の新緑のブナ林は、ヒバとの混交した自然林なので、なかなか見応えのある景観である。
路肩に駐車して真新しい「熊に注意」の看板を横目に登り始めると「グギャー」という声が四回ほど聞こえ、田中氏と私が「熊に間違いない」と石井氏に告げる。早速ザックから鈴を取り出し登る事にした。
ブナ林をだらだらと登って行く。ブナの木肌は根元から2mほどは白く、それ以上は黒く苔むしていて、積雪量がはっきりと判別できる林相だった。
それにしても積雪が少ないのでは無く、凍てつく津軽海峡の強い風に煽られ飛び散って仕舞うのだろうと思いながら、歩を進め灌木帯の尾根を曲ると、倒壊しそうな木造の展望台が見え、その櫓の下が燧岳の山頂だった。
山頂には一等三角点が置かれ、大間営林署が設置した「燧ヶ岳」と木彫りの山頂標識が建てられていた。地元では尾瀬の燧ヶ岳と同様に呼ぶらしい。辺りは雑木に阻まれ、崩壊寸前の展望台に一人ずつ上って眺望を楽しんだ。
広大な準平原の佐藤ヶ平の先には、先ほど訪れた風車の林立する桑畑山と尻屋崎、南に目を転ずれば-下北半島最高峰の釜臥山(879m)や障子山(863m)が連なり、左に太平洋、右には陸奥湾に挟まれた鉞型の半島が望め、強い風が海上の雲を引きちぎり、津軽海峡の向こうに青白く北海道の渡島半島が横たわり、その先端に白く雪をつけた恵山が望めた。この景色は滅多に見ることは出来ないだろうが、熊は熊ダナからいつも眺めていることだろう。
本マグロで有名な大間へと向い、町へ入る手前の赤鳥居から折戸神社へ入り本州最北の山である折戸山へ登った。神社の裏手の笹薮を十分ほど登ると、戦時中の防塁跡がありコンクリートの残骸と山頂標識があった。山頂は雑木に阻まれ辺りを眺めることは出来ない。
その後、最先端の大間崎へ本マグロを食べに行ったが、殆どを築地に出荷してしまい地元では中々食べられないとの事であった。石井氏が燻製した本マグロを購入して帰りの車内で頂いた。