64 母狩山(751m){ホカリヤマ}
県=山形 三等三角点
同行者=田中さん
登山日:2009年10月23日 (快晴)
■OMITSU評価
歩=2時間30分 静=☆☆☆ 奨=☆☆☆ 難=☆☆
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~ 山ルート及びガイドが無い山も、これまた楽しい。 ~
母狩山は以前に油絵にも描いた山で愛着がある。麻耶連峰の北端金峯山の一つ手前の山で、丹精に尖った山容が目を引く。予定では東側のルートガイドのある谷定から入山予定していたが、二万五千地形図に西側の長滝集落からのルートがあり、ガイドの無い方をあえて選んだ。
宿の鼠ヶ関を朝発ちしてR7号線を北上、五十川から五十川に沿って遡り、山五十川集落で、国の天然記念物である「山五十川の玉杉」を拝見した。樹齢1500年以上の玉杉である。R345号線に乗り、東目入口にあった鎌倉時代の矢流川の層塔や石碑をカメラに収めた。
荒れた林道を走り、出作小屋集落となった砂谷の寺の横上を上り、軽トラか四輪駆動車しか入れない様な荒れた道を走り長滝集落に至った。ここも出作小屋集落となり冬季は人も入れない。
(本来ここの集落で生活していたが、過疎化が進み、限界集落化してしまった。冬季は降雪も多く、下界とも遮断され、生活できない。仕方なく下界に生活の営みを求め、春暖に除雪された後、秋冬に雪が降るまでの間、集落に戻り農作業やら林業をする。)
通り掛りに、偶々出作小屋に下界から帰宅していた農夫に、母狩山への入山について尋ねた。何回も登っているとのことで、親切に教えてくれたので助かった。
集落にある神社前を抜け、温海カブが焼畑耕作されている山腹を通り、荒れ果てた林道を進むとヤマドリの家族が道を塞いでいるので車を止め、写真に収めた。やがて、U字形にカーブした先が林道の終点で登山口であった。先行の軽トラ1台が停まっており心強い。
登山口には母狩・金峯登山口の標識と母狩山山頂90分の案内板があった。植林された薄暗い杉林を抜けると、ピンクに色づいたマユミが心を和ませる。踏跡程度の道だが、要所にはテープがあり、ヤマブドウがたわわに実っている。下山時にゲットしょうと言って、落葉帯のなか湿った急傾斜はロープを使いながら急登の連続。
時たまテープが誤った方向にあり、地元の人が言っていた「兎も角 尾根に出よ」を実践した。藪こぎならぬ、灌木こぎで、持参した新しいテープを付け息切れしながら急登すると、湯ノ沢山からの縦走路に飛び出した。目の前には、母狩山20分∥湯野沢⇒の道標に従い、地形図上では左だが田中氏が右に行くが下るのみ、右にも高見はあるが左の方が遥かに高い。30分ほどアルバイトをして、元の場所に戻る。道標を良く確かめると標識上部が壊れていて「←」印が見えなかったと判明。
気を取り直して山頂へと進む。灌木の道を振り返れば、摩耶山が昨日見た形相と違った山容で構えている。障子ヶ岳の天を突く鋭峰が一際目を引き、朝日連峰の山々がおいでおいでをしている様だ。足元にはクマの糞だろう、未消化の木の実がこんもりと光っていた。
辛い汗も快適に思える山頂に到着。今日は雲一つない快晴で羽黒山・湯殿山の山波の上には月山が、眼下に広がる庄内平野と先には海から立ち上がる鳥海山が雄大に眺められ素晴らしい。ここに登って来た人間にしかこの感激は味わえない。
山頂中央にはナナカマドが既に葉も落し冬支度をしている。三等三角点は、やや遠慮して横の方にあった。登頂記念の証やらが幾つも有り、見苦しいので整理しておいた。
絶景を堪能し記念写真を撮り下山に掛かる。湯ノ沢岳への分岐まで戻り、降り積もった落葉がサクサクと、小気味よい音を奏でる急傾斜をラークと叫びながら下る。植生が変わる処でヤマブドウを大量に収穫。束の間の自然の味を楽しみながら、暗い杉林に入り駐車した場所に戻った。
以下、下山後に立ち寄った箇所を写真でご紹介。
★管理人から令和のこそこそ噂話★
11月18日は「ミッキーの誕生日」です!
アンバサダーホテルやホテルミラコスタとパーク間を運航している
シャトルバスのナンバーが11-18とミッキーのバースディに
なっているのをご存じですか?
おめでたい日のはずが、今日はコロナ新規感染者数が
2200人を超えてしまいました。
改めてコロナ慣れしていないか気を引き締めようと思います。
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