361三石山(1173m){ミツイシヤマ}
県=山梨 歩=3時間30分
同行者=ロッジ山旅木曜山岳会
登山日:2006年1月19日 静=☆☆☆ 奨=★★ 難=2
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身延駅~(車)30分 {歩行1時間半}
大崩上集落~1時間20分
町境稜線~ 10分
三角点~ 30分
三石山頂~ 30分
町境尾根分岐~ 1時間 大崩上集落
三石山は山梨県南部の天子山地(天守山塊)の西にある。
富士川沿いの身延駅から、日蓮宗総本山久遠寺へのバスが出ており、シーズンには多くのさんけい客でにぎわう。駅北側の踏切を渡り、桑柄川(かがえがわ)の川沿いの町道大崩線をたどる。狭い道でガードレールも少ない。車輪の右下は急傾斜で深い谷底が時折見え隠れする。運転を誤ると一巻の終わりだ。右や左にハンドルを切ってゆくと、大崩下集落、ここからUターンするように左に進み、ヘァーピンカーブを3回ほど廻ると、大崩上集落に着く。
標識に「ここは身延町大崩上村」とあり、3、4軒の小さな村であった。かつては、身延駅から桑柄川に沿って5kmほど上流にあり、陸の孤島のような状況にあった。周囲の山に、スギ、ヒノキを植え、しいたけを栽培し、その後、傾斜地を利用して、ゆず栽培にも力をいれてきたが、過疎の大きな波に見舞われたという。
登山口は、赤字で書かれた三石山の案内板が目印である。小さな茶畑を通り、よく整備されたヒノキ植林の中、凹状にえぐられた山腹をジグザグに急登する。椿草里(つばきぞうり)の分岐から明るい尾根に飛び出る。草里とは焼畑の意味をもち、身延町だけでも14の同名の字がある。かつてこの地区は炭焼きが盛んで40近くの窯があり、炭は富士川を利用して駿河に運んでいたそうだ。山腹の伐採地は森林組合が管理する植林帯で、考えられない所まで人手が入っているのには敬服した。
この一帯は、まだヒノキが幼木なので眺望がきく。しばらくすると三石山の稜線が見え出してくる。早春の壮大な山々が清々しい。この雄大な景色も、あと4~5年もすると暗いヒノキの森と変貌するかと思うと残念である。やがて、林床にスズタケが多くなり、傾斜がゆるくなると身延町と南部町の境界尾根に出る。ここから道を直角に南に歩くと、枯れ落ちた木の間から南アルプスが望めるようになる。上部が赤い三等三角点が目に入ってくる。高度は1100・5mであった。三角点があるだけに眺望がきき、「三石峠展望地」に着いた。
木々が切り払われた展望地からは、西方に白雪を抱いて輝く、赤石岳、聖岳が、その前には、七面山ナナイタガレの雪筋が望まれた。手前には、身延山と身延の町並みが、足下には大崩下の集落が小さく見えた。振り返れば、富士山が大沢崩れを正面に厳しい姿をして目の前にあった。
この先からゆるい下り坂となり、しばらく進むと岩が出てくる。再び上りになって、植林から開放され、雑木の中にリョウブやブナが見られるようになる。苔むした岩肌を避けながら、尾根を進み簡単な鎖場を過ぎると、「三石山参道」と書かれた標識が目に入る。山道でなく参道だった。社が見え出し道が急になり登り切ると、すぐに立派な奥宮に着く。社殿の中をのぞくと、三石大明神が祀られていた。拝礼して来訪者ノートに記帳した。山頂は神社のすぐ裏手の小高いところにあり、標柱と山名表示があった。
社殿の前には朱塗りの鳥居と、山名の由来となった大岩が二つデンと構え、その下に小振りの岩があった。ちょうど、神様が宿っているようだったので、大岩に登ることを諦めた。
地形図には、神社の背後100mほどのところに1173mの測定点があるので、藪をこぎながら暫く探してみたが、藪が深く見つからなかった。多分、地形図には高度標示の小数点以下が記入されていないので、標柱が無いのだろう。
下山はピーカンの空の下、豊かな自然を存分に堪能して、最高の気分で車の駐車した場所に戻った。山里の大崩では、もう陽は陰り寒さが身に染みた。
大崩集落は駐車スペースがなく、住民の車が駐車してあれば困難である。
地図 2万5千図 「身延南東」 (山の本掲載済)
★管理人から令和のこそこそ噂話★
1月18日は「都バスの日」です!
東京都交通局が制定。
1924(大正13)年のこの日、東京市営乗合バスが東京駅への2系統で営業を開始した日となります!
~今日は何の日 毎日が記念日より引用~
都バスは業務で金融機関に外出する時に利用しています。
最近では公共機関を利用するのを躊躇する気持ちになりますね。あなたは普段どんな交通手段を主に利用されてますか?やっぱり足腰を鍛えるためにもウォーキングがオススメです。