178 高宕山(330m)
おまけ 鹿野山(379m)
県=千葉
同行者=石井さん
登山日:2010年2月21日
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高宕山
石井光造さんから『人名登山「石井山」を見つけたぞー』と連絡が入った。
これで山友の田中山、そして森田山と石井山と三山登れる。
従来の話しでは、石井山は存在しないと石井さんに聞いていたので思いもしなかった。これで滋賀の「田中山」、福井の「森田山」、そして、千葉の「石井山」に登れると思うと、感激する。残るは福島の「斉藤山」のみで機会を作って、是非とも斉藤さんと登りたいものだ。
石井さん宅にお伺いして山行計画を作る。天気の良い日には東京湾越しに富士山が見える眺望の山であると分かった。天気の好い日を選び、いつもの通り石井宅に8時に迎え、首都高速湾岸線から東京湾アクアラインに入る。「海ほたる」は満車だったので、通過して館山道に入り、君津インターで下車。左折して県道33号線を東日笠へと進み、田舎道を迷いながらも何とか植畑上郷の案内板がある場所に出てきた。
あとは「関東ふれあいの道」の標示板に従って進み、隋道の手前にある広場に到着。登山者の車であろう。10台ほどの車が既に駐車していた。人気のある山なのだなと思いながら登山準備をして、出発をする右の数段の階段を登ると六地蔵尊があり、地肌は滑りやすい粘土質で急登を登り切ると、鹿野山と高宕山の分岐で、左奥の岩峰が石射太郎山であった。石井さん書蔵の古い文稿によれば、昔は石井太郎山と記されていたとの事。
石射太郎山には以前、野猿の餌付け小屋跡があった所で小屋が残っている。道理で地図に「高宕山のサル生息地」の印字が見当たる。
昔むかし、台田久保(デーデッポ)という巨人が高宕山北方の高いたかい山の上にある大きな石に向って、鹿野山から強引に矢を射った。すると石は、遥か南方半里もある谷間まで射飛ばされた。その時、台田久保は鹿野山で「石射たろう」といった。この言葉をとってこの山を「石射太郎山」というようになった。また石射太郎山は関東大震災での石の切り出し場、いわゆる石切丁場なるものが破損するまで明治初期から大正初期にかけて大量の石が切り出された。
― 清和村誌より
ここから整備された気持ちの良い比較的平坦な山道を下ると、台倉(右)、高宕山(左)への分岐がある、ここからアップダウンを繰り返しながら途中、岩峰の石射太郎山が望めるベストスポッットのベンチをやり過ごし、長い急な階段を登ると高宕観音に着いた。
高宕観音の由来標示板には、伝説によれば、奈良時代に行基菩薩が当山を訪れた際、多くの人々にご利益を施そうとして彫刻した霊像と言われている。この観音像のご利益を受けた者は数限り無いが、源頼朝が石橋山の合戦に破れ安房の国に渡った時、源家再興を懇祈し、黄金で一寸八分の尊像を写し刻んだ。そして常に肌身はなさず持って後に鎌倉に幕府を開くに至った。高宕山縁起より。
石段の始めの場所には等身大の仁王像が一方は立像もう一方は行くと豊英コース、大滝コースからの分岐点が現れ、高見の岩場を梯子やロープが張ってあり、変化に富んだ楽しい登頂ルートである。先の岩峰に登り切り、狭い頂上に立てば、周りには視界を遮るものもなく、360度の視界が開け、一週見渡せば植林も少なく、沢は深く侵食された細い尾根が複雑に入り込んでいて、とても330㍍の山頂に立っているとは思えない重畳(ちょうじよう)たる山並みが楽しめる。
あいにく高曇りのため、富士山は望めなかったが房総の盟友、清澄山、伊予ヶ岳・鹿野山、そして浦賀水道の先には久里浜方面が望めた。下山は来た道を戻った。
鹿野山
房総総半島は海の印象が強いエリアだが、半島中央部は標高500㍍に満たない山深い山域である。千葉県で二番目の標高の鹿野山に登ってみた。
高宕山を下山して植畑の集落を過ぎ、県道33号線を辿り清和市場から鹿野山方面に入り九十九谷展望公園に駐車した。
公園からは九十九谷が見渡せ半島第二の高見で織り成す山々と谷が素晴らしい。
白鳥神社の鳥居を潜り本殿脇の女坂を登る。五分ほどで岩積の白鳥神社奥宮があった。足元には一等三角点本点があり、奉納された木立が無ければ眺望は抜群であろう。下山は滑る男坂を下り駐車した場所に戻り帰路についた。
白鳥神社の伝説によれば、景行天皇の皇子である日本武尊が、天皇の命により、鹿野山を拠点として猛威を振るっていた阿久留王を征伐するため、東国へ下ったといわれている途中、相模から船で上総に渡ろうとして、走水(現在の浦賀)のあたりに差し掛かった時、暴風に遭遇し、船は先に進めなくなった。このとき、妃の弟 橘比売命が波風の平穏を海神に祈りながら荒海に身を投じたところ、海は静まり尊は無事上総国に辿り着き、阿久留王を征伐して民生の安定をはかった。
日本武尊が亡くなった後、白鳥となって鹿野山に飛翔してきたといわれ、住民がその徳を偲び白鳥神社を創建したと伝えられている。
★管理人から令和のこそこそ噂話★
2月1日は「テレビ放送記念日」です!
1953(昭和28)年のこの日、NHK東京放送局が日本初の
テレビの本放送を開始した。
1953(昭和28)年2月1日午後2時、東京・内幸町の東京放送会館から「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンであります」の
第一声が放送された。当時の受信契約数は866台、
受信料は月200円だった。
その年の8月には日本テレビ、翌1954(昭和29)年3月にNHK大阪と
名古屋、1955(昭和30)年4月にラジオ東京(現在の東京放送(TBS))
でもテレビ放送が開始された。
~今日は何の日 毎日が記念日より引用~
最近では若者のテレビ離れといわれていますが、
見逃し配信などもスマホで視聴できる便利な時代になりましたね!
まだ68年前とは思えない程時代の流れが早く感じます。。。