325 貫ヶ岳(897m) 標高差 670m
326 白鳥山(568m)
県= 山梨・南部町
同行者=ロッジ山旅木曜登山会 (総勢:10名)
登山日:2004年2月12日(天気:晴れ)
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貫ヶ岳
今回の山行は、山と渓谷の南部町。奥州の豪族、南部氏の発祥の地。
甲斐源氏の祖・加賀美遠光公の三男・光行公がこの地を治め、南部氏を称したことに始まる。後に源頼朝公の奥州遠征を機に本拠を奥州に移したと言われる。陸奥に移住した南部氏に変わり、中世後期には、穴山氏が甲斐国守護武田氏の一族として河内領(現在の南巨摩)を治めました。
この様に、古い歴史のある南部町をJR身延線で初めて訪れる。内船から旧道を走り、万沢でR52号に県境を越え、静岡の甲駿橋北詰手前から穴原塩出線に入り、古住田で中沢集落へ、集落外れの公民館横に駐車する。
山梨は小県でも南下すると、気象条件が異なり所々に自生するシュロ、狭い山峡に点在する茶畑、育ちのいい杉、桧が広がり、登山する楽しみもだが、のどかでひなびた集落の点景が印象的だ。
10:30に公民館前を出発。コース入口の左手、歴史の古そうな一乗寺、細い参道の階段は苔むしていたが、新築された住職の家が立派すぎて、古刹の威厳をそこねているのが気になった。中沢登山口から入山。入口にはマムシに注意の看板が赤書きで目立ったが今は冬眠中だろう。
ルート脇の竹林は幹が太く枝の細い孟宗竹、手入れの行き届いた茶畑に春の日差しが優しく、厳冬期登山の緊張感が湧かない。林道と岐かれ植林された杉と桧の下に、常緑のアオキと馬酔木が小さく、褐色の山肌に間伐材が整然と転がり、管理が行き届いている。
展望も陽射しもない沈んだ山道。トップグループは山岳紀行で著名な横山夫妻、奥多摩山行の主:野中さんと回顧登山の西野さんに、脱ハイクで登山に熱中する藤井さん、ミドル組はやや離れて、里見さんと長沢さん親子。ラストは相変わらず、重装備の坂本さんと私が、汗を拭き拭き続く。
長かった植樹帯を抜け出し尾根の最後のツメで横山さんが音を上げていたが、12:00に稜線の焼山に着き、高度差600mのしんどい尾根を登りきった。
最後の仕上げは展望のあまりない上り下りで、葉の落ちた雑木の先には右に富士の霊峰、左を向けば青笹山・仏谷山と十枚山がチラチラと垣間見られ、何故か一本だけ残っているモミの大樹を話題にしながら、頂上直下の急傾斜をツメて三角点のある山頂に立つ。
山頂からの枝越しに見る富士は高かったが、周囲が植林された林で足元がヤダケやカヤだから登頂の感激はいまいちだ。頂上直下かの枝越しに何れ登りたい篠井山が眺められ、どっしりと構えていた。
一時に下山開始、焼山から晴海~十国~南貫ヶ岳(平治の段)から中沢峠の回遊コースがあるが、短い冬の日とツアー時間を考え、楽しみは次回に残して往路を戻る。焼山からの下りは、お互い流石に慎重で、足元を注意しながら下り、植林の中に傾斜が緩くなるジグザグコースは、歩を早め十人組ツアーも小春日和の良い天気に恵まれ、中沢公民館前に14:40に戻り、おまけ山行で白鳥山(568m)に足を伸ばし、富士川と秀麗富士を見て戻る。
参考タイム:合計4時間10分
10:30 中沢公民館
12:00 焼山
12:30~13:00 山頂
13:30 焼山分岐
14:40 中沢公民館
白鳥山
貫ヶ岳に登頂の帰途に、「頂上まで車で行ける山が有る」と長沢さん。
段々と高齢になり、足腰が弱くなり、歩くのが不自由になった時には、
汗もかかずに素晴らしい眺望が得られる山も探しておくのも、
結構なことだと白鳥山に向かった。
広い山頂からは、天子山塊の山々。そして、ここでの位置から眺める富士山は一味変わった。丸味を帯びた富士山が望めたのが収穫だった。
*編集者からのひとこと*
2月8日は「〒マークの日」です。
1887(明治20)年のこの日、逓信省(後の郵政省、現在の日本郵政グループ)のマークが逓信の「テイ」に合わせて甲乙丙丁の「丁」に決定した。しかし、万国共通の郵便料金不足の記号「T」と紛らわしいことがわかり、6日後の14日に、「テイシンショウ」の「テ」を図案化した「〒」の誤字だったことにして変更した。
~今日は何の日 毎日が記念日より引用~
皆さんご存じの「〒」マーク、「テ」を図案化したって知ってましたか?私は初めて知りました!普段目にするものでも、知らないことがあるんですね。他のマークの由来を調べてみても面白いかもしれません。妹の自学ノートのネタとして提案しようかな…では、また明日!