48 北上山地{キタカミサンチ}
~ 連なる高原を歩く ~
県=岩手 同行者=石井さん、立花さん、他2名
登山日:2000年6月26日
Outdoor Style サンデーマウンテン
大白森・貝吹岳に登った帰途に田代平高原の七時雨山荘を訪ねる。いつ訪れても何とも表現できない心休まる環境の七時雨。この気持ちはこの地に訪れた人にしか分からないだろう。
翌朝、山荘オーナーの立花さんが、広大な北上山地の一角である田代平高原~高森高原~そして早坂高原~区界高原へと東北の屋根を走り抜け、さらに櫃取湿原を再訪して盛岡に至るルートを四輪駆動車でご案内頂いた。
先ず地元の人でも知らないと言う、ベニバナイチヤクソウの群落がある田代平高原の西岳の東端に案内頂いた。林道からちょっと登った先の鞍部に広がる一面のベニバナイチヤクソウに驚く。誰も踏み込まないひっそりとした草付きに、そっと近付き望遠カメラに収めて戻った。路傍にはアズマギクが二輪寄り添うように咲いていたのが微笑ましかった。
再度林道に戻り、高森高原へと進み、観光天文台の脇を抜け、銀河牧場の「かぬか平」と言われる一面に野芝(牧草)が覆う中を通った。立花さんが「あれは放牧された牛共が、木の葉を背の高さまで食んだ姿です。この辺りの牧場では良く見られる光景ですよ」と眺めるとなるほど人の手が入ったように整然としている。
やがて観光天文台の売店でパンフレットを頂き、発電風車が建ち並ぶ葛巻町に入った。パンフレットに依るとこの町は電力自給率が160%と飛びぬけて高く、自然エネルギー活用推進で先駆町といえる。思えば自然エネルギー推進で記憶に残るのは、山形県の立川町(合併して庄内町)が自給率60%程度だから、葛巻は凄いものだと感心した。
やがて袖山高原の麓を通り抜け塚森高原に入ると、突然見たことのない光景が現れた。黄色い花のウマノアシガタと濃い茶と白の花弁のヤマオダマキが、辺り一面を埋め尽くして、そよ風に何処までも揺らいでいる草原に出た。石井さんが立花さんに尋ねると、「名もない場所です。地元の人には普通の景色ですよ」という。我々にしてみたら感激の余り直ぐ去りがたい。ここで途中の身体障害者施設で買い求めたパンとミルクで充分な時間をかけて昼食をとり、この「かぬか平」風景を脳裏に収め重い腰をあげた。
更に先に進むと、今度は一変し大木が立ち枯れした林が何処までも続き、不気味な景色に出会し再び感激する。奈良の大台ケ原は針葉樹のトウヒだがここは林相が違うようだ。どうも落葉樹か広葉樹の木肌であるが、既に皮が落ちてしまって解らず。立花さん談では「ここは三巣子岳の山麓の一端で、潮風にやられたのではないか詳しくは解らない。この先にハマナスが咲いている峠がある」という「何かこの立ち枯れと関係あるのだろうか」と石井さん「何で浜辺の花が」と尋ねると立花さん「昔の塩の道で叺に付いた種が落ちて生えたらしい」との答えだった。
やがて早坂高原に入り更に進むと、なるほど路肩には、通りすがら濃いピンクのハマナスの花が続いていた。早坂峠から石峠に差し掛かると、今度は濃い紫の花弁を開けた「何れアヤメかカキツバタ」解らないけど点々と咲いている光景に出合う。なんと素敵な変化の富んだ所々に案内頂き感謝の一語に尽きる。
石峠を越え櫃取湿原の自然を守っている山家の西間さん宅を訪問したが、ご主人は留守だった。奥様に自然の成り行きや苦労話を聞き、特に冬場が大変で子供さんも小さい時は20kmの雪道を歩いて毎日通学したそうだ。飛騨の山家を思い起こさせた。庭に咲いていたアツモリソウを拝見させて頂き、西間宅を後にした。
暮れゆく櫃取湿原(別の稿で記す)を再訪し、区界高原を走り抜けて盛岡駅まで送って頂き素晴らしい山旅を謳歌して帰途についた。
お名前.com
A8.net