7 岩木山(1625m){イワキサン} 一等三角点 ☆百名山☆
別名=津軽富士、オイワキヤマ
同行者=石井さん・田中さん
登山日:2003年6月2日
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日本の半島の山旅を実行中。
昨年(2002年5月)は、下北半島の山旅を企画して、当初の予定を一山残して(朝比奈岳、深い藪に阻まれ)達成出来た。今回は津軽半島の山旅を企画した。向かった先は東北新幹線で弘前まで入り、レンタカーで津軽の山々を山行しながら周遊する一週間の山旅である。
日本百名山に選ばれている岩木山を最初に訪ねる。田植えが済んだ、津軽平野の中心に秀麗な姿で、残雪を所々に纏って迎えてくれていた。津軽富士と言われるだけに田毎に映し出される逆さ富士は、富士山と思う程に美しい。美空ひばりの「りんご追分」ではないが、りんごの花咲く季節、そして赤い実のなる頃は、この風景も一味違った素晴らしい趣をするだろう。
左右の車窓からは、雪を未だ頂いた八甲田山の勇姿が光輝き揃い踏みしている。そんなアップルロードからの光景である。地元の人々から見れば、何ら気がつかない光景で有ろうが、私としては素晴らしい一言に尽きる。
眺望している間に、車は岩木山の麓の岩木神社に到着。参拝の後にスカイラインで八合目の駐車場へと向かう。吹き溜まった汚れた雪の上には純白のムシカリ(別名 オオカメノキ)が清々しい。
ロープウェイで九合目まで行く筈だったが、想定外の休業で、麓のゲートの塀門時間が5時の為、仕方なく石井さんは居残り、時間の許す限り田中氏と行ける処まで行こうと歩を進めた。路肩にはアイヌタチツボスミレやズダヤクシュの可憐な花が咲いていて、逸る気持を和ませてくれている。溶岩の巨岩を乗越して登ると荒々しい噴火口が現れた。鳥海火口で小振りだが若々しい火口で、なかなか凄みが有るもので、岩稜を更に登ると大館鳳鳴ヒュッテがあった。
「鳳鳴ヒュッテの由来」
昭和三十九年(1964)一月六日、大館鳳鳴高校山岳部の生徒が厳冬の岩木山に百沢口より登頂、下山途中に猛吹雪の為に遭難し、石田・乳井・畠山・金沢の四君は夢多い青春の志半ばにして大鳴沢の雪の中に散った。このヒュッテは彼らの御霊を鎮め、再び悲劇の起こらぬ事を願って、冬期登山の避難小屋として全国からの多くの方々の善意で建設した。と記してあった。
その他にも、この鐘の設置は、「若きらの 命を呑みし 岩木嶺は 夕映えの天に さりげなく聳つ」昭和六十一年(1986)一月二日、岩木山岳会の会員 四名が雪崩により遭難した鎮魂の鐘である。
また、冬季でない昭和55年(1980)5月にも、弘前工業高校三年生が遭難した慰霊碑があり、地蔵尊供養塔が鎮座していた。
ここ錫杖清水と種蒔苗代との合流地点は、岩木山の鬼門に当たる地点で無かろうかと地形から判断した。
山をなめてはいけない。この秀麗な山にも関わらず意外な感じがした。
辺りにはミヤマダイコンソウやミチノクコザクラが、暗い雰囲気に明るい花を添えてくれていた。
ここからの眺めも素晴らしく、白神山地の山々が見渡せ、時間を見ると第一御坂を越えて十分であると田中さんが言う。
双子岩まで登って残念ながら、下山と決めて石井さんの待つ、駐車場へと急いでミネザクラの咲く尾根を下った。
Outdoor Style サンデーマウンテン